札幌地方裁判所 昭和41年(わ)178号 判決 1966年9月05日
被告人 河端純一
主文
被告人を懲役五年に処する。
未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入する。
押収してある革バンド一本(昭和四一年押六三号の一)を没収する。
理由
(被告人の経歴)
被告人は、肩書本籍地で河端源三の長男として生まれ、昭和三四年三月中学校を卒業後働きに出たが、一定の職場に落ち着くことができず、土工夫、工員、農家の季節労務者等をして働いて来たが、適当な仕事もなくなつたため、昭和四一年二月一〇日頃何とはなく留萠市にきたり、徒食の生活をしていた。
(共犯者村井裕との出会い及び本件犯行にいたるまでの経緯)
昭和四一年二月一三日、被告人が留萠駅で知り合つた老人を近所の旅館に案内する途中、たまたま前日札幌の実家から家出してきていた村井裕(当時二六才)に話しかけられ、それがきつかけで一緒に同旅館に宿泊したが、三人とも所持金を持合わせなかつたため、村井が宿泊代金支払の責任を負うことになつた。そこで、同人は、翌一四日金員を調達すべく知人方に赴いたが、金策を得るに至らなかつたので、さらに何とかして金を作ろうと考え、同日夕方被告人と村井の両名は、金策に出かけると告げて同旅館を出た。
(罪となるべき事実)
こうして旅館を出たものの、もはや正当な方法で金員を調達できるあては全くなく、市内を徘徊しているうちに、村井は窮余の一策としてタクシーの運転手を襲つて売上金を奪おうと考えるにいたり、被告人にその計画をもちかけたところ、被告人もこれに同調し、ここに、両名共謀して自動車強盗を企てるに至つた。かくて、同日午後六時ごろ留萠市栄町二丁目国鉄留萠駅付近路上において、被告人および村井裕の両名は、三交ハイヤー運転手林正路(当時二二才)の運転するタクシーを呼びとめてこれに乗車し、まず深川市までの運転を指示して機会を窺つたが襲う機会がなく、さらに岩見沢市、同市志文までの運転を指示し前同様機会を窺つていたが、午後七時四五分ごろ同市南町付近道路にさしかかつたとき、被告人が便意を訴えて停車させ下車したので、村井も少し遅れて下車し、その際、同人が被告人に「やれ」と合図するや、被告人は、直ちにその意を察知して車に乗り、革バンド(昭和四一年押六三号の一)を右林の背後からその首に巻いて後に引きつけ、村井も、運転席側の窓から手を入れ手拳で右林の顔面を一回殴打した後、つづいてドアを開け、こもごも同人の顔面を二、三回殴打するなどの暴行を加えたうえ、「おとなしくしろ」「おかしなことをしたら、ためにならんぞ」などと申し向けて同人を脅迫し、同人を後部座席に移らせてそこに横臥させ、被告人が同人の頭部をひじでおさえつけて身動きできないようにし、その反抗を抑圧したうえ、村井が、同車を運転走行させながら、被告人に金員奪取を指示し、それに応じて、被告人が右林の背広両外ポケツトから売上金約二、八〇〇円を強取し、なお、その際、右各暴行により、右林に対し、約一週間の治療を要する鼻根部および鼻翼打撲擦過創の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法二四〇条前段、六〇条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽した刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入することとし、押収してある革バンド一本(昭和四一年押六三号の一)は判示強盗致傷行為の用に供したもので犯人たる被告人以外のものに属しないことが明らかであるから、同法一九条一項二号、二項にしたがいこれを没収し、被告人の関係で生じた訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書によりこれを被告人に負担させないこととする。
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、『被告人は、生来知能程度が低く、正常な認識判断能力を有しない状態で本件犯行を行なつたものであり、したがつて、本件犯行当時心神耗弱の状態にあつた』旨主張するので、以下これにつき判断する。
(一) 被告人の精神状態における最大の問題点は、その知能の低格にあるが、鑑定人中川秀三作成の精神鑑定書によると、
1、新制田中B式知能検査による検査結果は、知能指数五九、精神年令七年五か月であり
2、鈴木ビネー式知能検査による検査結果は、知能指数四三、知能年令六才一〇か月であつて
実験的心理検査による被告人の知能段階は重症痴愚に相当するが、その教育歴、生活歴、労働歴等をあわせ考慮すると、被告人の知能障害の程度は精神薄弱の中等度段階、すなわち軽症痴愚(知能年令六才-一三才)と推定され、かつ、知能の未発達にともない、感情が遅鈍・不安定で、道徳的高等感情等はまつたく未熟であつて、本件犯行時も軽症痴愚の常況にあり、その行為は精神薄弱者の衝動的・習癖性犯行と考えられるとされ、その責任能力については、心神耗弱の状態にあつた旨の参考意見が付されている。
(二) あらためて言うまでもなく、精神鑑定において、鑑定人は、精神医学的な見地から、被告人の精神障害の有無、もし何らかの障害があつた場合には、その精神障害の態様、程度ないし行為に及ぼす影響などを経験的事実として報告するものであり、一方、裁判所は、この記述的要素を法律的観点から評価して、責任能力の有無あるいはその程度を判断しなければならない。したがつて、かりに、鑑定人が一定の精神障害の行為に及ぼす影響に言及し、一歩進んで心神耗弱の状態にあつた等の意見を付していても、所詮それは法律的判断に属することであつて、裁判所は、そのような意見に拘束されることなく、評価できるのみならず評価しなくてはならないのである。
しかしながら、およそ責任能力は、「精神障害」という生物学的事実を前提としてはじめてその法律的評価が下されるのであるが、前提をなす生物学的事実とそれから導き出される法律的判断との間には表裏一体の密接な関連性が存するので、裁判所の自由心証といえども合理的控制にしたがわねばならないこととあいまち、鑑定結果の評価は努めて真摯かつ慎重であることが要求されることにも留意しなければならない。
(三) ところで、およそ、責任能力の判断にあたつては、とくに、つぎの三点が考慮されなくてはならない。(イ) その一は、刑法上の責任能力は、あくまで、現に問題とされている一定の行為との関係で是非善悪の識別能力があつたか否か、および、それにしたがつて当の行為を制御することができたか否かという角度から考察されるべきもので、一般的な責任能力の有無を問うという性質のものではないことであり、(ロ) その二は、責任能力判断の基礎となる行為者の精神状態は、知能的要素と情意的要素の総合的統一体であるから、いたずらに知能的方面のみを重視すべきではないということであり、(ハ) その三は、犯罪の種類による責任能力の相対性-すなわち、犯罪には、その是非善悪を弁別するについて比較的高度の能力の存在を予想しているもの(例えば、文書偽造や贈収賄等)と、低度の能力でも足りるもの(例えば、殺人、窃盗等)とがあり、これら犯罪の種類によつて、責任能力の有無程度についての判断にニユアンスの相違が存するということである。
(四) 叙上の諸点を念頭におきつつ、被告人の本件犯行当時における責任能力について具体的な検討を加えてみよう。
(1) 被告人が村井裕と共に本件自動車強盗を企てるに及んだ動機形成過程、本件犯行の態様および本件犯行当時の被告人の具体的な言動は、先に詳細に判示したとおりであるが、被告人が村井裕のもちかけた本件犯行の計画に同調するに至つた経緯には、特段不自然な点は認められず、むしろ、当時所持金皆無の状況にあつたことから、学校荒しやバスの車掌を襲う等の手段をも考えたものの、結局村井の発案によつて本件のような自動車強盗を敢行する決意を固めるに及んだというのであつて、かつ、被告人単独で自動車運転手を襲うだけの勇気はなかつたけれども、体格がよく、如何にも強健に見える村井といつしよであれば心強いという考えで同人との共同犯行に応じたことなど、被告人の動機=犯意形成過程はすこぶる自然な心理的経過に由来することが窺われる。さらに、前掲各証拠によると、被害者はたまたま被告人の顔を知つていたので、「河端でないか」等と話しかけたのに対し、被告人の方では被害者の顔を忘れていたうえ、名前を知られると後刻発覚しやすいことを懸念して「違う」旨答える等、自己の素性等を隠ぺいする言動に出ており、また、当初、村井との間では深川市内に赴くまでの間に犯行に訴える計画が立てられていたのに、同人がいつこうに実行行為に出る気配を示さなかつたため、その膝を突ついて実行行為を促すような行動に出ているほか、本件犯行現場に至るまでの間すでに車中で判示革バンドをはずし、いざという際にそなえての準備行動に出ていたこと、本件実行行為は村井の合図によつて開始されたものであるところ、被告人は右合図を認めるや、その意図を即時に察知し、きわめて機敏に被害者の背後から革バンドを首に巻きつける行為に出で、一連の村井の指示にしたがい、被害者の着衣から現金を手際よく強奪し、その後、被害者を座席に横臥させて自らその上に倒れかかるようにして車外から発見されないための手段を講じ、なお、被害者が頭をもたげようとすると、「動いたら生命がないぞ」等の脅し文句を申し向けたこと等がそれぞれ認められ、これら犯行前後の被告人の言動は、その主観面、客観面の両側面において、特に異常とか高度に幼稚であると評価される点がほとんど皆無に近く、かえつて、通常の知能程度の持主のそれと比較して遜色のないものと認定できるのである。このことは、本件のごとき自動車強盗が比較的低級の知能程度しか持合わせない者であつても、その反社会性・反倫理性を識別することのできる強力犯罪であること、この種犯罪行動に出るについて、その反対動機を形成し得る能力(行動制御能力)は、知能的要素よりも情意的要素に左右されるところが大きいことなどと相まつて考えると、被告人が本件犯行当時自己の行動の是非善悪を弁別し、それにしたがつてみずからの行動をコントロールする能力に著しい障害の存する精神状態になかつたことを裏書きするものと言うことができると思われる。
(2) このように見てくると、前記中川鑑定人の鑑定は、被告人の一般的刑事責任能力が知能低格のため平均的通常人のそれと比較して、相当劣つていることから、直ちに本件犯行当時の精神障害の程度についての結論を急いだものと評するほかなく、たやすく、その鑑定結果なり参考意見をそのまま採用しがたいものと考える。もつとも、被告人が叙上のごとく、知能的に軽症痴愚の常況にあることから、衝動的に共犯者の誘惑に乗せられ、一般人に比して規範感覚が鈍麻し、さしたる抵抗感もないまま本件犯行に加担したことは否定できないが、このことをもつて、前説示の判断に消長を及ぼすものと解するのは早計のそしりをまぬがれないであろう。さらに、ここで留意すべきは、被告人が本件犯行にもとずき逮捕され、捜査官の取調を受けた際、当初は、できるかぎり自己が村井の言いなりに行動したかのごとく自らの立場を粉飾する趣旨の供述を行ない、その後、捜査官の追求により、その供述に内在する矛盾点を訂正せざるを得なかつた経緯である。
しかも、右のような自己弁護的供述が本件犯行において被告人の共同加功の態様・程度等その犯情を把握するうえで重要な部分についてなされていることは、被告人が知能低格者でありながら、まがりなりにも、自らの行動の反倫理性を見きわめる能力を持ち合わせていることをはしなくも露呈したものと考えられる。
(五) 以上の理由によつて、本件犯行当時の被告人の責任能力に関する弁護人の主張は、これを採用することができない。
(量刑の事情)
本件は、二名共謀にかかるいわゆるタクシー強盗の事犯であつて、その社会的影響が相当深刻なものであることはいまさら多言を要しないところで、かつ、その手口も、計画的な犯行であり、暴行の程度も革バンドを用いるなど危険・悪質な形態で行なわれており、一方、被告人の家族も全く被告人を見捨てているにひとしく、その性格・境遇にてらすと、再犯のおそれがすこぶる大きいと考えられる。
しかしながら、一方において、被告人は、その人格的負因や恵まれない環境にもかかわらず、今日まで何らの前科がなく、さらに、本件犯行当時心神耗弱の状態にまで至つていなかつたと認められることは前判示のとおりであるが、知能面における劣等人格者であることは否定できず、それだけにまた、刑法的非難を加える可能性が低いのも当然であり、現に、本件犯行における共同加功の態様・程度は、共犯者たる村井に比して追随的であり、もつぱら、同人の積極的指示にしたがつて行動したと窺われる点が多く、さいわい、被害が比較的軽微なものであることなど、被告人の有利に斟酌すべき事情もまた少なくない。
そこで、被告人については、酌量減軽をほどこすのを相当と判断したが、なお、被告人に対する矯正措置にあたつては、特殊の医療的処遇を要することを考慮すれば、ある程度長期間の収容措置を加える行刑的必要が認められるので、主文掲記のごとく量刑するのを相当と考える。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 辻三雄 角谷三千夫 下沢悦夫)